新年祭
新年祭は、神様との結縁のお祭り。年の改まった新鮮な気持ちで御神前に進み、心を開いて神様との御縁を結ぶ。念じる祈りが通じ、御神威を受けることができる。
本宮では立春までの寒修行の期間に当たり、松の内の最後の日に旧年のお札やお守り、松飾りなどを炊き上げる左義長祭が、ひとむすび池で行われる。
天降里祭
開創記念の日より十年後の十一月十六日。大元霊大主(あめつちのおおみおや)様が御出現。「ここは良い地じゃ良いとこじゃ、三千世界を見渡してこの度この台借り受けた。」「現れ出でしは今はじめ。……大主は数珠は放さん。」と大音量で御啓示が在り、毘沙門堂内陣の天蓋に数珠が飛び、飾りに連なって垂れ下がられた。この日より本教は新たな段階を迎えることとなる。
本教は形として神式にてご奉仕させていただいているが、神仏混淆の諸式を大切にしている。祭典によっては抹香をお焚きするのも、この故事による。
御開祖祭
明治の御代、嫁入りした御開祖の毘沙門堂へ捧げる無垢な御奉仕に神宿られる。特に先を見通す眼力、生命に関わる啓示、人を正しき方に導く胆力に、優れた法力を示され、多くの人々を説き諭し、導かれた。ただ、長く子宝に恵まれず、願掛けをされ授かったのが御教祖である。授かる跡継ぎが一人前になれば命を差し出すという神様との約束通り、御教祖がご結婚された翌年の九月十八日、いったんは医師も臨終を告げる中、信徒や家族の慟哭の祈りが神に届き、息を吹き返し九日間の延命が与えられた。その間は、日夜神様の御啓示を伝えられ、口伝や筆先、絵に至るまで、多くを遺された。
九月十八日は息を吹き返された御教祖の御指示により「かまど」が作られ、炊飯するという「くどう謝恩祭」が執り行われた。
御開祖が御帰幽された九月二十七日が命日である。
開創記念祭
毘沙門堂にて信仰を進め、多くの人々を救うようになられた御開祖が、跡継ぎの子宝を授かりたいと願を掛けられた。観音様が現れて、この子は5歳になれば高座から人を諭す子になる、と告げられる。大正2年5月20日、5歳になった観音様から授かった子が、「毘沙門天の思惑を空鉢護法が物語る」と神様の啓示を語り始める。
御教祖祭と宇賀弁財天社祭
御教祖が御帰幽されたのが、3月4日。この御命日以前の日曜日にお祭りをさせていただき、ご遺徳を偲び、神霊地に鎮まっておいでの御霊に感謝の合掌を共にさせていただきます。
また、御教祖が勧請された宇賀弁財天社の御祭を併せて執り行います。
立春から初辰祭・初巳祭・初午祭
新たな年を迎え、それぞれのお祭りをひとむすび池龍神舎、空鉢御法舎、稲荷舎で執り行い、平成6年度の安寧と教信徒の皆様に信仰の喜びが授かりますよう、祈祷いたしました。
令和6年新年祭
1月1日能登半島地震で被災されて皆様に、心よりお見舞い申し上げます。また、世界で惹起する戦争で起こる悲劇に対して、悲しみと憎しみの連鎖をいかにして解くか、世界の行く末に不安を抱きながら新しい年を迎えました。
1月3日の新年祭には多くの皆さんが帰本され、ご神前にて小さいお子さんや赤ちゃんも含め多くの世代間で笑顔がはじけました。感謝申し上げます。
当日の写真は投稿ページで公開しております。
令和の新たなる年へ
本教の始まりの年を確定することは難しく、明治初期には現境内に毘沙門堂の存在が明らかであり、その頃までは証左を持って遡ることができる。江戸時代末期から明治初めにかけての、教派神道が勃興し明治政府に認められた頃と期を一にしている。
本教の縁起を紐解くと、いくつもの転機があるが、大正5年5月20日、大正12年11月16日は本教にとって大きな節目であり、令和5年は数えて110年および100年に当たる。
大主殿御正中に御鎮座される大元霊様に喜びと感謝を伝え祝い喜び、信仰を進めることによって安心立命を得、徳を積むことによって次代への開運をすすめます。信仰を得ることにより改めて自ら学び直し、見つめ直す機会となることを願います。真心つながる皆様に信仰の喜びが少しでも実感できる一年にならんと、心よりお祈り申し上げます。


宗教法人 大天地教の公式サイトです。
旧サイトから引っ越ししました。
吉野に鎮座する大主殿は大天地教本宮と呼ばれ、「本宮」と呼称することも多いです。
また、宗教精神の柱として「大主道(だいすどう)」を標榜しております。