本教について

この地は遠く南北朝時代、吉野宮の鬼門の方位を守る護持寺が置かれた場所と伝えられ、当時は七堂伽藍が立ち並んでいたという。
 明治41年、毘沙門堂にあまたの人が集う中、御開祖に御啓示あり 「生まれる子は五歳になれば高座から人を諭す者となる」と
 その生まれた子が二代教主となり、御啓示から導かれた真理を基に、人を導き世の行く道を教えにまとめられた。
 神様からの御啓示をひたすら受けられ、人助けを積み上げられた御開祖と、御啓示をお受けになりながら、教えに昇華され礎を築き固められた二代教主の、二代を祖とする教えなり。
 御開祖の人助けは神の啓示そのものであり、徳に惹かれ多数の講が引きも切らず、幟をはためかせて集まった。
 御開祖亡き後、土地因縁や家系因縁、時代の波にも翻弄され、艱難辛苦を引き受けて、幼き子らを育てつつ、御主祭神と御開祖へのまことを貫き、多くの法難を忍びながら、宗教法人としての礎を積み新たな出発を果たされた二代教主を御教祖と諡する。
 
 御教祖がお隠れになり、すでに40年。
 我らはあらたかな法灯を護りつつ、不器用で牛歩ながらも、ただ誠実に教えの道を進む者なり。


変遷の歴史です

 本教は、御開祖が御啓示をお受けになり、多くの人が集う中、組織作りが素人の手探りで行われていました。短い一時期ですが、神道大教や出雲大社教の傘下教会であったこともあります。そして、独立した宗教法人としての手続きが完了する以前に、「大地教」の名前で活動していた時期があります。それらの時期を通して東海・近畿・四国・中国等一円で多くの支教会・伝道師が活動していました。
 古い信者さんや本教伝道師、本教教師に世話になったと、今も尋ねてこられる方がおられます。

 今はただ、あらたかな法灯を護り、大主殿に祀られる御主祭神様を始め、幾多の御祭神様にご奉仕させていただいております。
 人知を超えて頼ることのできる、心のよりどころ、命の親様として、太い綱をつかむ安心を実感させていただく信仰に、結縁いただくことを願っております。